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栗原利代子句集『恋雀』の句(二)
栗原利代子句集『恋雀』の句(二)
どの顔も夫の顔や鯥五郎
燕の子死して紙ほど軽かりき
囀を来てゲルニカの展示室
羽化の蝶痩身にして飛ぶかまへ
青虫に脈打つ青き血潮あり
栗原利代子句集『恋雀』の句(一)
栗原利代子句集『恋雀』の句(一)
春の月てろんてろんと生きたしよ
恋雀さへもパリジャンパリジェンヌ
春光や遊牧民は姓もたず
雨粒の叩く巣箱や鞍馬山
アフリカの楽器爪弾き年惜しむ
曼珠沙華
九月の中旬、四年程前に庭の隅に植えた曼珠沙華が咲いた。曼珠沙華は不思議な花だ。いつの間にか茎をすっと伸ばし、爪で宙を掴むように蕾をつける。そして、妖艶な花を開き、あっという間にとぼってしまう(実際には幾日か咲いているのだろうが)。昨日(10月5日)茎の回りをの草を抜いたら、土から葉が出始めていた。
曼珠沙華は、彼岸花・幽霊花・狐花など不気味な別名を持つが、稲と一緒に渡来したとも言われているので大切な花だったかも知れない。飢饉の時の非常食ともなったので、普段は人の近づかない墓地などに植えられたとも言われる。
つきぬけて天上の紺曼朱沙華 山口誓子
空澄めば飛んで来て咲くよ曼珠沙華 及川 貞
曼珠沙華咲かむと空へ爪をたつ 窪田英治
句集『熊鈴が』 児玉和子
児玉和子句集『熊鈴が』
2016.7月 ふらんす堂発行
とんとんと膝で揃へて稲を結ふ 児玉和子
昔なら何処の農村でも見られた情景。稲を一株一株鎌で刈る。それを数本の藁しべで束ねるのだが、その時切り口を揃える。私の父も母も膝でとんとんと株を揃え器用に稲を束ねていた。束ねられた稲は、一つ一つ稲架に掛けられる。
山の好きな作者は、句集のあとがきに次のように書く。「リュックサックに付けた熊除けの鈴を鳴らしながら、野山を歩き、風景を眺め、鳥や植物や昆虫に出会う。この楽しみのおかげで私の生活も俳句も大きな広がりを持つようになりました。」「熊鈴を鳴らして、『今、人間が歩いているから、出てこないでね』と、動物たちにあやまりつつ、山の楽しさを少し分けてもらっている」
こうした、自然を労り愛おしむ目は、旅の途中で会った人々の生活にも注がれている。
掲句にもそんな作者の優しい目が感じられる。
一片の雪を目に追ふ水面まで
城巡る一水ありて寒椿
銅の流しに跳ねて寒の水
青き踏む水神様のあたりまで
どの路地もみな抜けられて島の春
花の雨福竜丸の覆ひ屋に
二輪草がさかんに話しかけてくる
茄子植ゑて行灯囲ひしてありぬ
玉苗の溺るるばかり水漬きをり
夏帽を押さへて千曲川(チクマ)遠望す
虚子句碑の文字のぱらりと涼しけれ
風吹けばむむと膨らみ帚草
稲光遠き記憶のやうにかな
石の湯 稽古会 一一句(以下四句)
熊鈴が廊下を通る宿の秋
新涼の窓に白樺暮れ残る
秋冷の川曲(カワワ)に溜まる山の砂
八月が終はると雨を見てをりぬ
印形に残る朱肉や獺祭忌
コッヘルにスープの煮えて草紅葉
覗き見る舟屋は暗し石蕗日和
思ひ草枯れつつ色のなほ残る
にいにい蝉 本井 英
にいにい蟬抑揚なきが疎ましや 本井 英
俳誌「夏潮」
2016.10月発行(通巻111号)より
にいにい蝉は、確かにみんみん蝉やつくつく法師と違い、じーじーと抑揚なく鳴く。それが却って疎ましいというのは面白い。
人の生活にも同じようなことが言える。毎日毎日が同じ調子で過ぎていくと、かえって気分が落ち着かなくなることがある。泣いたり怒ったりする日常は煩わしいが、退屈しない。
掲句の前に次の句が置かれている。
山梔子の実の真緑のよそよそし 英
普段、側にいて何かと世話をやかれると煩わしいが、相手にされないと物足りなく不満が生まれる。
人間はなんとも不思議な生き物だ。
今日は撮影がありました
今日は撮影がありとても良い写真を撮っていただきました。
俳句で脳トレ 一茶の句 (一)
一茶の句(一)
雪とけて村いつぱいの子どもかな
やれ打つな蠅が手を摺り足をする
石仏だれが持たせし草の花
凧抱いたなりですやすや寝たりけり
梅咲けど鶯鳴けどひとりかな
ものを感覚的につかむ 宮坂静生
「ものを感覚的につかむ」 宮坂静生
吟行では、ものを感覚的につかむこと。対象の本質を鋭くつかむこと。
対象50パーセント、私の心理50パーセントで見る。つまり、ものを見るということは、私の気持ちを抑えることであり、それはある意味で自己否定である。自然(もの)に圧倒される自分がそこにある。
平成二十七年九月二十七日、「岳俳句会」の東飯綱高原吟行会での言葉。
〈このコーナーは筆者のメモです。俳人の言葉の意味を正確に捉えていない場合もあります。〉
浅間山
浅間山
長野・群馬両県にまたがる活火山。標高二五六八メートル。天明三年(一七八三)の大爆発では、多くの犠牲者を出した。
吹飛ばす石は浅間の野分かな 芭蕉
有明や浅間の霧が膳をはふ 一茶
春星や女性浅間は夜も寝ねず 前田普羅
冬の浅間は胸を張れよと父のごと 加藤楸邨
鉄(くろがね)の浅間山(あさま)を据ゑてほととぎす 窪田英治
福寿草
私の小さな家をここ八重原台地に建てて二十七年になる。二十代から家を建てたら「桃花水庵」と名付けようと決めていた。桃が咲く頃、雪解け水などで増水するが、これを桃花水という。その水のように、人や鳥が沢山集まって来るといいなあと思って名付けた。
桃花水庵への訪問者は、人や動物だけとは限らない。花が咲いたり、落ち葉が舞ってくる、霜が降るなどなども私を楽しませてくれる訪問者。
今回は、福寿草が訪問者である。
昨年は、二月二十五日に、開花した。今年は、暖冬のうえに雪の布団を被っていて温かかったからだろう。十五日の雨で雪がすっかり溶け、十六日には開花していた。
昨年よりも十日も早かった。
日の障子太鼓の如し福寿草 松本たかし
福寿草家族のごとくかたまれり 福田蓼汀
福寿草村に一人の帰還兵 窪田英治