鄙曇句碑 上田市 上田城址内

(正面)鄙曇必与山子規「ひなぐもりかならずよやまほととぎす」

(裏面)正風中興の鼓吹(こすい)者春秋庵白雄翁は我上田の城主松平伊賀守の臣加舎忠兵衛の

    二男なり。藩中この俳傑を出だす。寔(まこと)に此地の誇りとす。而して

    山子規の吟自ら当城址の風物に適(かな)ふ。今茲(ここ)に有志協力斯(この)句碑を建て以て翁を

    記念し、且(か)つ将来の俳士を励ますと云爾。

 大正八年四月十三日 松宇伊藤彰撰並書

一メートル余の台石にシャクシ形の竿石(高さ二メートル半)が据えられている。形状、碑面ともに魁偉の観がある。大正八年4月十三日、「白雄翁記念句碑建設会」により発起、設立された。句は安永三年碓氷峠での吟。上記の文章を書いた松宇は丸子町の出身で白雄に近代的評価を与えた俳人・俳文学者である。


ふるさと句碑 上田市中央西一丁目七番目(旧片平町)歩道脇

(正面・裏面)俳人白雄ゆかりの加舎家跡

(右側面)ふるさとや梅に柳にはなしあり

(左側面)平成二年三月 加舎白雄二百回忌 実行委員会建

高さ九十一センチ、幅、奥行二十四センチの全面磨き石柱碑、石材は花崗岩である。白雄の実家は天明三年三月の「信(協 – 十)上田城中城下絵図」によると、この地に間口二十間、奥行二十七間二尺四寸の広壮な屋敷を構えていた。句は明和四年春、久しぶりにこの兄の家を訪れた折の歌。「白雄贈答」の巻頭に記している。碑は二百回忌記念として平成二年三月三十日に建立。平成十年十月再建。


人恋し句碑 上田市 上田城址入口二の丸散策道

 人恋し火とぼしころを桜ちる 加白雄

平成二年十月七日、白雄の二百回忌を記念して加舎白雄二百回忌実行委員会の手で建碑された。台石とも甲州小松石。竿石は高さ二五五センチ、幅一二七センチ、奥行四五センチ、台石は高さ四五センチ、幅二一〇センチである。碑面は、上田市中央三丁目の荒井みや氏(小島麦二、荒井争茂の裔)所蔵の白雄自筆六曲一双屏風(平成二年、上田市指定文化財に指定)の一扇を原寸のまま透写して刻んだ。ただし、この一扇には署名がないので他扇のもの拡大して使用した。

この句は安永元年春、吉野に花見した折の作「もの恋し灯ともしころをちる桜」を後日改案したもの。


大輪寺・大輪寺正門前の碑

登大輪禅刹(だいりんせつにのぼる)

きさらぎ(二月)と過(すぎ)、やよひ(三月)いたりぬ。ここぞこれ無人の境(さかい・俗人の居ない地)、ここぞこれ不住の天(作為のない世界)、楼閣山巓(山頂)に倚(より)、ものとして世界にしたがはざるなし。まして花(桜)をや。腥葷(せいえん・なま臭い物)ははこぶまじ。さかづきは袂にせよとうかるるものは甘流(左十)、曲肱(如毛)やつがれ(私)のみたり。あそぶこと三時(六時間)、日はななめになりぬ。

九乳の蒲「(空の「エ」の部分に牛)」(ほろう・蒲寧、焚鐘)は天窓(あたま)のうへにひびき、古木堂(座禅堂)は扉をしめてかんともいはず、

ちる花はちらして寺のさかりかな 白尾(白雄の前号)

平成八年十月建立 大輪寺二十七世錦心博道代   発起人 俳人加舎白雄顕彰保存会

会長 宮坂 裕 小野宗有謹書

平成八年十月二十日、加舎白雄顕彰保存会と大輪寺住職が協力して建立。前文によると、明和八年春、門人岡崎如毛・児玉左十とともに大輪寺で花見をした折のもので、矢羽勝幸氏所蔵の白雄自筆本「昨鳥手控乙」の真筆を拡大した。